2012.03.23
鉄道走行音(113系新快速)
2004年に運転された『113系新快速』号の走行音をアップしました。
http://skydrive.live.com/?cid=C6CAC38176388E69&id=C6CAC38176388E69%21117
http://skydrive.live.com/?cid=C6CAC38176388E69&id=C6CAC38176388E69%21117
2012.03.20
鉄道走行音(キハ58系鳥取ライナー)
前々からやってみたかった、鉄道走行音の公開を開始します。
手始めに、キハ58系の鳥取ライナーをどうぞ。
http://skydrive.live.com/?cid=C6CAC38176388E69&id=C6CAC38176388E69%21109
手始めに、キハ58系の鳥取ライナーをどうぞ。
http://skydrive.live.com/?cid=C6CAC38176388E69&id=C6CAC38176388E69%21109
2012.03.13
特急連結解放
3月20日の近鉄ダイヤ変更で、大和八木駅での京伊/阪伊定期特急の連結解放がなくなります。
というわけで、撮りに行ってきました。

大阪難波から阪伊特急が入線します。

最後尾の貫通扉が開きます。

京都から京伊特急が入線します。

一旦停止。

駅員の手旗誘導にしたがって接近します。

連結。

京伊特急サニーカーの貫通扉も開いて…。

貫通幌をつなぎます。

行ってらっしゃい!

お次は、伊勢方面から京都/大阪難波行き特急が入線です。この幕ももう見られなくなりますね。

連結部。

貫通幌をしまって…。

貫通扉を閉めます。


阪伊特急が少し後退して、切り離し完了。
最後は、12200系同士の連結を連続写真でお楽しみください。











というわけで、撮りに行ってきました。

大阪難波から阪伊特急が入線します。

最後尾の貫通扉が開きます。

京都から京伊特急が入線します。

一旦停止。

駅員の手旗誘導にしたがって接近します。

連結。

京伊特急サニーカーの貫通扉も開いて…。

貫通幌をつなぎます。

行ってらっしゃい!

お次は、伊勢方面から京都/大阪難波行き特急が入線です。この幕ももう見られなくなりますね。

連結部。

貫通幌をしまって…。

貫通扉を閉めます。


阪伊特急が少し後退して、切り離し完了。
最後は、12200系同士の連結を連続写真でお楽しみください。











2012.01.30
20120129天理臨返却回送@天理駅

天理駅留置線に留置中の24系客車

DD511191が迎えに来ました

天理駅に進入します

追いかけて駅に移動したら、既に機回しが始まっていました。

オハネフの横を通過して…

再び転線して、ゆっくりと客車に歩み寄ります。

連結作業中。

組成完了!

肉眼で見るとこれくらいの明るさです。

街の灯を浴びて…

夕闇せまる天理で出発を待ちます。

ほどなく、冬の日はとっぷり暮れ、列車も夜の顔に。

ヘッドライトに照らされて。

まもなく出発!

19時8分、ゆっくりと動き出し…

闇の中へ消えて行きました。
2012.01.19
地理教育鉄道唱歌を読む 東海道編 その19(興津・江尻)
19 世に名も高き興津鯛 鐘の音響く清見寺
清水に続く江尻より 行けば程なき久能山
<解 釈> 興津の名産として有名な興津鯛。美しい鐘の音で知られる清見寺。清水港に続く江尻宿から歩けば、ほどなく久能山東照宮に至る。
興津:1889(明治21)年2月1日開業。所在地は静岡県静岡市清水区興津中町。
駅から少し神戸方へ進んだ地点では、線路が清見寺境内を横切る形で敷設され、現在も同寺の総門と本堂の間を東海道本線が横切っている。
興津鯛:アマダイの別名。一般的にはアマダイを一夜干しにしたものが「興津鯛」と呼ばれる。徳川家康がこれを食べ、調理(あるいは献上)した奥女中「興津の局」の名を取って名付けたのが始まりという。
鐘:清見寺の梵鐘は、天正18(1590)年4月に豊臣秀吉が伊豆韮山城を攻めた際、陣中で使用したとされる。明治期には文人の愛するところとなったようで、高山樗牛の「清見寺の鐘声」という名文がある(明治34(1901)年5月発表)
清見寺:静岡県清水区にある臨済宗妙心寺派の寺院で、正式には巨鼇山清見興国禅寺という。
創建は白雉年間(650~654)年とされ、当時この地にあった「清見関」という東海道の関所脇に創建されたという。臨済宗寺院として再興されたのは弘長2(1262)年のことである。
松平家康(徳川家康)が今川氏の人質であった天文19(1549)年頃、この寺に滞在していたとされ、現在も「家康手習いの間」が残る。
朝鮮通信使や琉球使の接待にも使用されたことから「朝鮮通信使遺跡興津清見寺境内」として国の史跡に指定されており、庭園も「清見寺庭園」として国の名勝の指定を受けている。
清水:清水港を指す。663年の白村江の戦に際し、廬原君臣がこの港から百済へ向かったとの記事が『日本書紀』にある。16世紀には武田氏の水軍基地となり、その後徳川氏がこれに取って代わり駿府城築城・補修用資材の搬入等に使用した。江戸時代には駿河・甲斐・信濃の幕領からの年貢が集まる港となったほか、西国の産物を江戸へ輸送する中継基地ともなった。
明治32(1899)年には開港場に指定され、以後茶の主要輸出港として栄えた。その後昭和27(1952)年に特定重要港湾の指定を受け、現在では二輪自動車・自動車部品・機械類を輸出、ボーキサイト(アルミの原鉱)・液化天然ガス等を輸入する主要港の一つとなっている。
江尻:1889(明治22)年2月1日開業。静岡県清水市清水区真砂町に所在する。1934(昭和9)年12月1日に「清水」と改称され、現在に至る。
現在では、東海道線の普通列車のほか、特急ワイドビューふじかわ号が停車する。
大正15(1916)年7月10日から昭和59(1984)年4月1日まで、当駅から清水港駅までの「清水港線」が分岐していた。清水港線は開通当初から貨物輸送を主眼とした路線で、旅客輸送は貨車と客車を混結した混合列車によっていた。昭和30年代には国鉄一の黒字路線となったこともあったが、モータリゼーションの進展により急速に衰退し、昭和47(1972)年以降は旅客列車は1日わずか1往復の運転となり、日本一旅客列車の少ない路線となってしまった。
久能山:久能山東照宮を指す。徳川家康が元和2(1616)年に没した後、遺命によりこの地に埋葬された。神社としての創建は元和3(1617)年12月である。本殿、石の間、拝殿(以上国宝)をはじめとして多数の文化財が所在する。
清水に続く江尻より 行けば程なき久能山
<解 釈> 興津の名産として有名な興津鯛。美しい鐘の音で知られる清見寺。清水港に続く江尻宿から歩けば、ほどなく久能山東照宮に至る。
興津:1889(明治21)年2月1日開業。所在地は静岡県静岡市清水区興津中町。
駅から少し神戸方へ進んだ地点では、線路が清見寺境内を横切る形で敷設され、現在も同寺の総門と本堂の間を東海道本線が横切っている。
興津鯛:アマダイの別名。一般的にはアマダイを一夜干しにしたものが「興津鯛」と呼ばれる。徳川家康がこれを食べ、調理(あるいは献上)した奥女中「興津の局」の名を取って名付けたのが始まりという。
鐘:清見寺の梵鐘は、天正18(1590)年4月に豊臣秀吉が伊豆韮山城を攻めた際、陣中で使用したとされる。明治期には文人の愛するところとなったようで、高山樗牛の「清見寺の鐘声」という名文がある(明治34(1901)年5月発表)
清見寺:静岡県清水区にある臨済宗妙心寺派の寺院で、正式には巨鼇山清見興国禅寺という。
創建は白雉年間(650~654)年とされ、当時この地にあった「清見関」という東海道の関所脇に創建されたという。臨済宗寺院として再興されたのは弘長2(1262)年のことである。
松平家康(徳川家康)が今川氏の人質であった天文19(1549)年頃、この寺に滞在していたとされ、現在も「家康手習いの間」が残る。
朝鮮通信使や琉球使の接待にも使用されたことから「朝鮮通信使遺跡興津清見寺境内」として国の史跡に指定されており、庭園も「清見寺庭園」として国の名勝の指定を受けている。
清水:清水港を指す。663年の白村江の戦に際し、廬原君臣がこの港から百済へ向かったとの記事が『日本書紀』にある。16世紀には武田氏の水軍基地となり、その後徳川氏がこれに取って代わり駿府城築城・補修用資材の搬入等に使用した。江戸時代には駿河・甲斐・信濃の幕領からの年貢が集まる港となったほか、西国の産物を江戸へ輸送する中継基地ともなった。
明治32(1899)年には開港場に指定され、以後茶の主要輸出港として栄えた。その後昭和27(1952)年に特定重要港湾の指定を受け、現在では二輪自動車・自動車部品・機械類を輸出、ボーキサイト(アルミの原鉱)・液化天然ガス等を輸入する主要港の一つとなっている。
江尻:1889(明治22)年2月1日開業。静岡県清水市清水区真砂町に所在する。1934(昭和9)年12月1日に「清水」と改称され、現在に至る。
現在では、東海道線の普通列車のほか、特急ワイドビューふじかわ号が停車する。
大正15(1916)年7月10日から昭和59(1984)年4月1日まで、当駅から清水港駅までの「清水港線」が分岐していた。清水港線は開通当初から貨物輸送を主眼とした路線で、旅客輸送は貨車と客車を混結した混合列車によっていた。昭和30年代には国鉄一の黒字路線となったこともあったが、モータリゼーションの進展により急速に衰退し、昭和47(1972)年以降は旅客列車は1日わずか1往復の運転となり、日本一旅客列車の少ない路線となってしまった。
久能山:久能山東照宮を指す。徳川家康が元和2(1616)年に没した後、遺命によりこの地に埋葬された。神社としての創建は元和3(1617)年12月である。本殿、石の間、拝殿(以上国宝)をはじめとして多数の文化財が所在する。




