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2004年に運転された『113系新快速』号の走行音をアップしました。

http://skydrive.live.com/?cid=C6CAC38176388E69&id=C6CAC38176388E69%21117
 前々からやってみたかった、鉄道走行音の公開を開始します。

 手始めに、キハ58系の鳥取ライナーをどうぞ。

 http://skydrive.live.com/?cid=C6CAC38176388E69&id=C6CAC38176388E69%21109
2012.03.13 特急連結解放
3月20日の近鉄ダイヤ変更で、大和八木駅での京伊/阪伊定期特急の連結解放がなくなります。

というわけで、撮りに行ってきました。

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大阪難波から阪伊特急が入線します。

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最後尾の貫通扉が開きます。

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京都から京伊特急が入線します。

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一旦停止。

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駅員の手旗誘導にしたがって接近します。

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連結。

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京伊特急サニーカーの貫通扉も開いて…。

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貫通幌をつなぎます。

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行ってらっしゃい!


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お次は、伊勢方面から京都/大阪難波行き特急が入線です。この幕ももう見られなくなりますね。

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連結部。

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貫通幌をしまって…。


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貫通扉を閉めます。

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阪伊特急が少し後退して、切り離し完了。

最後は、12200系同士の連結を連続写真でお楽しみください。

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天理駅留置線に留置中の24系客車

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DD511191が迎えに来ました

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天理駅に進入します

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追いかけて駅に移動したら、既に機回しが始まっていました。

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オハネフの横を通過して…

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再び転線して、ゆっくりと客車に歩み寄ります。

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連結作業中。

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組成完了!

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肉眼で見るとこれくらいの明るさです。

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街の灯を浴びて…

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夕闇せまる天理で出発を待ちます。

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ほどなく、冬の日はとっぷり暮れ、列車も夜の顔に。

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ヘッドライトに照らされて。

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まもなく出発!

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19時8分、ゆっくりと動き出し…

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闇の中へ消えて行きました。
19 世に名も高き興津鯛 鐘の音響く清見寺
 清水に続く江尻より 行けば程なき久能山


<解 釈> 興津の名産として有名な興津鯛。美しい鐘の音で知られる清見寺。清水港に続く江尻宿から歩けば、ほどなく久能山東照宮に至る。

興津:1889(明治21)年2月1日開業。所在地は静岡県静岡市清水区興津中町。
 駅から少し神戸方へ進んだ地点では、線路が清見寺境内を横切る形で敷設され、現在も同寺の総門と本堂の間を東海道本線が横切っている。

興津鯛:アマダイの別名。一般的にはアマダイを一夜干しにしたものが「興津鯛」と呼ばれる。徳川家康がこれを食べ、調理(あるいは献上)した奥女中「興津の局」の名を取って名付けたのが始まりという。

:清見寺の梵鐘は、天正18(1590)年4月に豊臣秀吉が伊豆韮山城を攻めた際、陣中で使用したとされる。明治期には文人の愛するところとなったようで、高山樗牛の「清見寺の鐘声」という名文がある(明治34(1901)年5月発表)


清見寺:静岡県清水区にある臨済宗妙心寺派の寺院で、正式には巨鼇山清見興国禅寺という。
 創建は白雉年間(650~654)年とされ、当時この地にあった「清見関」という東海道の関所脇に創建されたという。臨済宗寺院として再興されたのは弘長2(1262)年のことである。
 松平家康(徳川家康)が今川氏の人質であった天文19(1549)年頃、この寺に滞在していたとされ、現在も「家康手習いの間」が残る。
 朝鮮通信使や琉球使の接待にも使用されたことから「朝鮮通信使遺跡興津清見寺境内」として国の史跡に指定されており、庭園も「清見寺庭園」として国の名勝の指定を受けている。

清水:清水港を指す。663年の白村江の戦に際し、廬原君臣がこの港から百済へ向かったとの記事が『日本書紀』にある。16世紀には武田氏の水軍基地となり、その後徳川氏がこれに取って代わり駿府城築城・補修用資材の搬入等に使用した。江戸時代には駿河・甲斐・信濃の幕領からの年貢が集まる港となったほか、西国の産物を江戸へ輸送する中継基地ともなった。
 明治32(1899)年には開港場に指定され、以後茶の主要輸出港として栄えた。その後昭和27(1952)年に特定重要港湾の指定を受け、現在では二輪自動車・自動車部品・機械類を輸出、ボーキサイト(アルミの原鉱)・液化天然ガス等を輸入する主要港の一つとなっている。

江尻:1889(明治22)年2月1日開業。静岡県清水市清水区真砂町に所在する。1934(昭和9)年12月1日に「清水」と改称され、現在に至る。
 現在では、東海道線の普通列車のほか、特急ワイドビューふじかわ号が停車する。
 大正15(1916)年7月10日から昭和59(1984)年4月1日まで、当駅から清水港駅までの「清水港線」が分岐していた。清水港線は開通当初から貨物輸送を主眼とした路線で、旅客輸送は貨車と客車を混結した混合列車によっていた。昭和30年代には国鉄一の黒字路線となったこともあったが、モータリゼーションの進展により急速に衰退し、昭和47(1972)年以降は旅客列車は1日わずか1往復の運転となり、日本一旅客列車の少ない路線となってしまった。

久能山:久能山東照宮を指す。徳川家康が元和2(1616)年に没した後、遺命によりこの地に埋葬された。神社としての創建は元和3(1617)年12月である。本殿、石の間、拝殿(以上国宝)をはじめとして多数の文化財が所在する。